About This Websiteジュエリーデザイン科について

1993年、石倉禎江科長のもと、ジュウリーアート科が新設され、この度20周年を迎えます。

現在は、ジュエリーデザイン科に改め、三年制のカリキュラムで、優秀な卒業生を多く育成しており、毎年、在学中に取り組むコンペでは多くの賞を頂き、卒業後は業界関連の方々から高い評価を頂く事も多く、業界内において学院の認知度も上がりつつあります。

専門性と人間性を兼ね備えた、自立したスペシャリストの育成を目指し、ジュエリー業界の新しい未来へ向かって活躍出来る人材を育成してまいります。

山脇美術専門学院 ジュエリーデザイン科科長 富永 文

成人式を迎えた山脇ジュエリーデザイン科。心からお祝い申し上げます。今や社会の中堅を担う卒業生も多く、活躍を見守る私の喜びはただ感謝あるのみです。ますますの発展を期して、1993年我科創設当時、業界誌GEMMOLOGY「宝石情報」(全宝協発行)に載せた記事を送ります。業界の人々に卒業生を受け入れてもらう為に書いたので今は同窓生に後輩達との連携を期待して読んで貰いたいと思いました。

石倉禎江

2000年を目前にして

日本において現代ジュエリーデザインが今日のような市民権を得るまでには、いろいろな方がたの議見と苦労の集積があった。もともと芸術の分野の人々からの提起であったため、政治的・法律的な発想にはうとい面も多く、それでも絶対的な必要性から徐々に努力を重ね、現在の展開充実を招いたのだ。日本全体が発展する時代の動きに恵まれたとはいえ、パイオニアとしての苦労は並大抵のものではなかった。1960年代に入ってもジュウリーの現代化は遅々としており、一般の宝飾品においてはデザインは貧弱なものが多かった。宝石業界では、やっとデザインの必要性がごく一部でいわれ始めた時期であった。一般女性が生活の中で使いたいような新鮮なデザインの良質なジュウリーはほとんどなかった。おしゃれな人々は探し求めていたし、私自身使うものも欲しかった。

一つ一つ技術を習得し、デザインをおこして作ってゆく…という自然発生的な必要から始まったような気がする。ヨーロッパからの情報も次つぎともたらされ、ジュウリーをアートの一分野として確立させる運動が起こっていた。それとともに研究会が持たれ、展覧会も開かれ、社会を啓発していった。国際展が開催され、日本のジュウリーデザインは世界的水準まで高められた。人的国際交流に積極的に取り組む方がたも多い。現在法人化されている日本ジュウリーデザイナー協会が発足して30年になる。若い人々も共感をもって次つぎとこの分野に参加してきた。先駆者たちは自分たちのアトリエを解放して、後進の指導にも力を入れた。宝石業界も徐々にデザインの重用性を認識し、もはやデザインなくしてジュウリーは存在しない、という常識ができたと思われる。デザイン界も裾野が広がり、デザイナーの層も厚くなった。

「けれど世紀末に控え、大きな時代のうねりを感じながら、再度デザイン界にも新風を期待させる時に、若い人々に良質な教育をしたいという気持ちから、今年度から山脇美術専門学院にジュウリーアート科を設立した。少人数制で丁寧に自分たちの培ってきたものを伝承し、また研究を重ねてゆく場としたい。丸1年の準備期間を終え、今、新学年が始まったところである。現在、先生方も学生たちもただ夢中。教室中が一生懸命の固まりである。1年目は基礎の習得のための期間。2年目は自我を認識し社会に結びつくための期間。年間では前期が実習制作の期間、後期は発表とまとめのための期間とする。また週30時間の授業の約1~2割の枠をその月その時必要と考えられる専門家の講師による特別授業とする。1回2~3時間を単位に、必要に応じて何回でも自由なカリキュラムを組んでいただく。現在、実社会で活躍しておられる方がたに来ていただく。今、社会はどのような仕組みになっていて、どのように動き、また今必要としていることは何なのかを吸収するためです。

たった2年間で、プロ意識と実力を身につけるには、どうすればよいのか。しかも学生には人々が身につけた瞬間から自信が持て、幸せを感じられるようなジュウリーのデザイン制作に携わる、という夢一杯の仕事につなげるための余裕のある生活を送る時間も欲しい。大いに学生生活をエンジョイして、感性豊かな幅の広い人になって欲しい。

当然のことながら、学業終了後、なるべく早く経済的にも自立しなければならない。深く社会に根差し、実社会の中で仕事をして生きなければ意味がない。宝石業界においてデザインの重要性は認識されている。しかし不況の折り、真っ先に不遇におかれる危険もあるのではないのか。今後の社会状況が気になっている。とはいえ、本来は売れない時にこそ新しいデザイン動向の可能性を追求すべきではないのだろうか。御一考をお願いしたい。学校と教師と学生を受け入れる社会連携がなければ、人も業界も育たない。会社の将来に役立つ人材を常に確保するようにして欲しい。バブル崩壊とともに生活は虚飾を離れ、質実に転換したといわれる。しかし、以前のジュウリー不在の生活に戻れるものではない。

イアリングをしないと化粧をしていないのと同じで、恥ずかしくて外出できないという中年女性が多い。今、ジュウリー使用年齢は衣料品や化粧品と同様、お墓に行くまでに延びている。女性の生活には色々な場面がある。その格場面で、ジュウリーは必需品となっている。より快適に健康的に美しく暮らすための、小道具としての企画デザインが必要である。本当に生活者が欲しているものを供給すれば受け入れられる。要は、その時代に必要とされるものは何か、手先の技術だけにこだわらず常に目的をはっきり決めてプランニングデザインを考えることが、デザイナーに課せられた最低限の役目である、と認識している。人は青春のある時期に持った美意識を一生持ち続けるものらしい。今50代の人々が好んでいるデザインが、20年後の50代即ち現在の30代の人にすべて受け入れられるものではない。良いもの、美しいものを感じる感性は、生まれた時からの時代背景や環境に微妙に左右される。やはり、常に各世代のデザイナーによる幅の広い美の提言を行うべきである。同世代に通じる感性は、言葉で表現できないような何かがあるようだ。私は自分世代の今の生活に合ったカジュアルエレガンスを追求している。今10代の人と接し、自分と違った柔軟な美意識を感じる。コンピューターを数時間の授業で使いこなし始める彼らを尊敬している。2年後には、きっと役立つ人材に育っているであろう。青春の希望と力を分けてもらって、生き生きとしてしまうのは私のほうかも知れない。若人たちに幸あれと願わずにはいられない。